こたつでおちゃらか

死体の独り言

「推し」がいること自体が地獄の始まりなのかもしれない

 

 

 

若手俳優のオタクをやめて気がついたらジャニーズのオタクになっていた。

若手俳優の出演する舞台やイベントに行くのとジャニーズのコンサートに行くのとではおそらく全く環境も距離感も違うし前みたいに対応して貰えなくて病んだりしないんだろうなあと思っていた。女の影を感じて嘔吐することもないって晴れ晴れした気持ちだった。

 

対象が悪かったのかもしれない。

 

女の好みやその辺の経験を節々から感じ取っては病んで泣いて吐き気を催しているし、舞台とは比べ物にならない規模の会場、それに伴う収容人数にも関わらず対応されなかったことでライブ終了後数日は虚無を漂っている。

 

まだ好きになって半年も経っていないのに好きにならなきゃよかったって毎晩思う。会えないなら構って貰えないなら好きになって貰えないなら死にたいって思い続けて気が狂いそうになっているし、日常生活にも支障が出るほど思考を侵食されている。

 

好きな人に自分の全力を注ぐことは自分を幸せになんて絶対にしないんだって気づいていたはずなのにまた同じことを繰り返している。

 

「推しを本気で推す」ってことはその間の自分の気力も体力も財力も時間も全部その人に捧げるってことだと思う。全然キラキラしてないし褒められたことじゃないし推奨されることでもない。

 

「推し」という言葉がライトに使われるようになったことに嫌悪感を隠しきれない。お前のそれは「推し」じゃない。オタク自体をコンテンツ化しないで欲しい。オタクが明るみに出ること自体間違っている。

 

推しなんていなきゃ人生で辛いことなんてそんなにない。あっても推しの言動で発生した辛いことの方がよっぽど辛いしきつい。もしかしたら推しを推すことで発生した辛いことによって日常に起こる辛いことを大したことじゃないと感じられるようにしているのかもしれない。だとしてもやっぱり推しがいなきゃこんな思いしなくて済むのにな。わかってるけどもう自分ひとりじゃ退屈で辛くて何も無くて日々を乗り越えられない。推しができなくなったら自分には何も残らないことがわかっているからオタクをやめられない。歴代の推しが増えれば増えるほど死にたくなる。好きになんてならなきゃよかった。最初から最後までずっとひとりならこんなことにならなかったのに